大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和56年(ワ)6737号 判決

第一事件原告、第二事件被告、第三事件反訴原告 亡杉野秋子承継人 杉野昌平

第一事件原告、第二事件被告、第三事件反訴原告補助参加人、第四事件被告 株式会社ソワン企画

右代表者代表取締役 大野澄

右両名訴訟代理人弁護士 千賀修一

同 堀之内英二

同訴訟復代理人弁護士 長堀靖

株式会社ソワン企画訴訟代理人(ただし、第四事件については訴訟復代理人)弁護士 白井裕子

第一事件被告、第二事件原告、第三事件反訴被告、第四事件原告 清建地所株式会社

右代表者代表取締役 川畑重雄

右訴訟代理人弁護士 小川栄吉

同 田賀秀一

同 佐藤誠治

主文

一  第一事件被告清建地所株式会社は第一事件原告亡杉野秋子承継人杉野昌平に対し、別紙物件目録一の土地について東京法務局港出張所昭和五五年三月一九日受付第八八三四号をもってなされた所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  第三事件反訴被告清建地所株式会社は第三事件反訴原告亡杉野秋子承継人杉野昌平に対し、別紙物件目録二の土地について東京法務局港出張所昭和五五年四月七日受付第一一六一五号をもってなされた所有権移転請求権仮登記の抹消登記手続をせよ。

三  第二事件及び第四事件原告清建地所株式会社の第二事件被告亡杉野秋子承継人杉野昌平及び第四事件被告株式会社ソワン企画に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は全事件を通じて第一事件被告、第二事件原告、第三事件反訴被告、第四事件原告清建地所株式会社の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(第一事件について)

一  請求の趣旨

1 主文第一項と同旨

2 訴訟費用は被告清建地所株式会社(以下全事件を通じ「被告清建地所」という。)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 本案前の答弁

本件訴訟は訴えの取下げにより終了した。

2 本案の答弁

(一) 原告亡杉野秋子承継人杉野昌平(以下全事件を通じ「原告杉野」という。)の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告杉野の負担とする。

(第二事件について)

一  請求の趣旨

1 原告杉野は被告清建地所に対し、別紙物件目録二の土地(以下「本件二の土地」という。)について東京法務局港出張所昭和五五年四月七日受付第一一六一五号をもってなされた所有権移転請求権仮登記(以下「本件仮登記」という。)に基づき、昭和五六年三月三一日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2 訴訟費用は原告杉野の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告清建地所の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告清建地所の負担とする。

(第三事件について)

一  反訴請求の趣旨

1 主文第二項と同旨

2 訴訟費用は被告清建地所の負担とする。

二  反訴請求の趣旨に対する答弁

1 原告杉野の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告杉野の負担とする。

(第四事件について)

一  請求の趣旨

1 第四事件被告株式会社ソワン企画(以下「被告ソワン」という。)は被告清建地所に対し、本件二の土地について、本件仮登記に基づき、承継前原告亡杉野秋子(以下、「亡秋子」という。)の被告清建地所に対する昭和五六年三月三一日売買を原因とする所有権移転登記手続をすることを承諾せよ。

2 訴訟費用は被告ソワンの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告清建地所の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告清建地所の負担とする。

第二当事者双方の主張

(第一事件及び第三事件について)

一  請求原因

1 亡秋子は、別紙物件目録一の土地(以下「本件一の土地」という。)及び本件二の土地(以下右両土地を併せて「本件各土地」という。)を所有していた。

2 亡秋子は、昭和五七年五月二二日に死亡し、原告杉野が亡秋子の権利義務を相続した。

3 原告杉野は、昭和六〇年七月二五日、本件各土地を被告ソワンに売り渡した。

4 本件一の土地には、被告清建地所のために、東京法務局港出張所昭和五五年三月一九日受付第八八三四号をもって同年二月七日売買を原因とする亡秋子から被告清建地所に対する所有権移転登記(以下「本件登記」という。)がなされている。

5 本件二の土地には、被告清建地所のために、昭和五五年四月四日売買予約を原因とする本件仮登記がなされている。

6 よって、原告杉野は被告清建地所に対し、本件一の土地につき本件登記の、本件二の土地につき本件仮登記の各抹消登記手続を求める。

二  第一事件についての本案前の主張

承継前原告亡秋子は、昭和五六年四月一日、第一事件の訴えを取り下げ、被告清建地所はこれに同意した。

よって、第一事件は訴えの取下げにより終了した。

なお、亡秋子は、右訴えの取下げ当時、意識明瞭であり、意思能力、行為能力に欠けるところはなかった。

三  本案前の主張に対する認否、反論

亡秋子作成名義の昭和五六年三月三一日付けの第一事件の訴えの取下書(以下「本件取下書」という。)が被告清建地所主張の日に東京地方裁判所に提出されたことは認めるが、右訴えの取下げは左の理由により無効である。

1 本件取下書は亡秋子が自ら署名押印したものではなく、被告清建地所代表者川畑重雄(以下「川畑」という。)が偽造したものである。

2 川畑は、昭和五六年三月末ころ、亡秋子が脳血栓及び脳軟化症のため正常な判断をすることができないのに乗じ、亡秋子に対して詐術を弄して本件取下書に署名させたものであり、亡秋子は、右文書が訴えの取下書であることを認識していなかった。

3 亡秋子には本件訴えを取り下げる意思がなかったので、たとえ本件取下書に署名したとしても、右取下げは錯誤により無効である。

四  請求原因に対する認否

1 請求原因1、2は認める。

2 同3は不知。

3 同4、5は認める。

五  抗弁

1 (第一事件について)

(一) 原告杉野は、昭和五五年二月七日、亡秋子の代理人として、本件一の土地を次の約定により被告清建地所に売り渡す旨の売買契約(以下「本件一の売買契約」という。)を締結し、被告清建地所は、同日、原告杉野に対し手付金二〇〇万円を支払った。

ア 売買価格は二〇〇〇万円

イ 手付金は二〇〇万円

ウ 残金は、同年一二月二五日までに、亡秋子が本件一の土地につき、その引渡し及び所有権移転登記手続をするのと同時に支払う。

エ 所有権の移転及び残金の支払などは双方の協議で行うことができる。

オ 本件一の土地上に建物を所有し、同土地を占有している北野要二郎(以下「北野」という。)が、亡秋子の協力により右建物を収去し、右土地を明け渡したときは、被告清建地所は亡秋子に対し六〇〇〇万円を支払う。

(二) 原告杉野は、昭和五五年三月一九日、本件一の売買契約に基づき、本件登記手続をした。

2 (第三事件につき)

(一) 原告杉野は、昭和五五年四月四日、亡秋子の代理人として、本件二の土地を次の約定により被告清建地所に売り渡す旨の売買予約契約(以下「本件二の売買予約」という。)を締結し、被告清建地所は、同日、原告杉野に対し手付金二〇〇万円を支払った。

ア 売買価格は二〇〇〇万円

イ 手付金は二〇〇万円

ウ 残金は、昭和五六年三月末日までに、亡秋子が本件二の土地につき、その引渡し及び所有権移転登記手続をするのと同時に支払う。

エ 被告清建地所は、同日、残代金を完済することにより予約完結権を行使する。

オ 本件二の土地の所有権は売買予約契約締結日に被告清建地所に移転する。

(二) 原告杉野は、昭和五五年四月七日、本件二の売買予約に基づき、本件仮登記手続をした。

六  抗弁に対する認否及び主張

1 抗弁1(一)のうち、手付金支払の事実は認めるが、その余は否認する。

同(二)のうち、原告杉野が被告清建地所主張の日に本件登記の手続をしたことは認めるが、これが本件一の売買契約に基づくことは否認する。

本件一の土地の売買価格は八二〇〇万円であり、二〇〇〇万円ではない。

すなわち、被告清建地所は、昭和五四年八月二四日、原告杉野に対し、本件一の土地(四一坪)を坪単価二〇〇万円で買い受けたい旨を申し入れ、原告杉野は数日後、これを承諾し、後日、その売買契約書を作成することになっていたところ、被告清建地所は、昭和五五年二月七日に至り、右売買価格をそのまま契約書に記載すると莫大な税金がかかるので、契約書上の売買価格は二〇〇〇万円とし、その余は裏金で支払う旨提案したので、原告杉野はこれを承諾し、被告清建地所主張のような内容(ただし、オの特約を除く。)の売買契約書に署名捺印したものである。

2 抗弁2(一)のうち、手付金支払の事実は認めるが、その余は否認する。

本件二の売買予約は本件一の売買契約と同日に行ったものである。

同(二)のうち、原告杉野が被告清建地所主張の日に本件仮登記の手続をしたことは認めるが、これが本件二の売買予約に基づくことは否認する。

本件二の土地の売買価格は五一六〇万円であり、二〇〇〇万円ではない。

すなわち、被告清建地所は、昭和五四年八月二四日、原告杉野に対し、本件二の土地(四三坪)を坪単価一二〇万円で買い受けたい旨を申し入れ、原告杉野は数日後、これを承諾し、後日、その売買契約書を作成することになっていたところ、被告清建地所は、昭和五五年二月七日に至り、右売買価格をそのまま契約書に記載すると莫大な税金がかかるので、契約書上の売買価格は二〇〇〇万円とし、その余は裏金で支払う旨提案したので、原告杉野はこれを承諾し、被告清建地所主張のような内容の売買予約の契約書に署名捺印したものである。

七  再抗弁

1 解除

(一) 被告清建地所は、昭和五四年八月二四日、亡秋子の代理人である原告杉野に対し、本件各土地を買い受けたい旨申し入れ、本件一の土地につき坪単価二〇〇万円、本件二の土地につき坪単価一二〇万円と記載した買付書を交付した。

(二) 原告杉野は、本件各土地を被告清建地所が申し入れた価格(合計一億三三六〇万円となる。)で売り渡すことを了承し、右申し入れの数日後、被告清建地所に対し、売渡承諾書を交付した。

(三) 原告杉野は、右売買価格により本件各土地の売買契約が成立したものと信じていたところ、被告清建地所代表者川畑は、昭和五五年一月ころ、原告杉野に対し、「本件各土地の売買価格をそのまま記載した契約書を作成すると、代金の半分以上が税金で取られてしまう。本件各土地の売買価格をそれぞれ二〇〇〇万円とする契約書を作り、この金額で売買したことにすれば、税金を少なくすることができる。二〇〇〇万円というのは税金を最小限に押さえることができる金額である。契約書の金額との差額は裏金で支払う。その裏金の支払の保証として、被告清建地所が実質的に所有している別紙物件目録三の建物の所有名義を原告杉野名義に移しておく。」などと言って、本件各土地の売買価格をそれぞれ二〇〇〇万円とする売買契約書の作成を提案したので、原告杉野は、被告清建地所の主張する本件一の売買契約及び本件二の売買予約(以下、「本件各契約」という。)がいずれも税金対策用のものであり、被告清建地所が裏金を支払ってくれるものと誤信して右各契約書に署名捺印したものである。

したがって、本件各土地の売買は、本件一の土地の売買価格を八二〇〇万円、本件二の土地の売買価格を五一六〇万円として成立したものであるが、被告清建地所が右代金の支払をしなかったので、原告杉野は、昭和五七年三月一二日到達の内容証明郵便により被告清建地所に対し、右代金の支払を催告し、右催告到達後一週間以内に支払がないときは、本件各契約を解除する旨通知した。

しかるに、被告清建地所は、右期間内に右代金を支払わなかったので本件各契約は解除により消滅した。

2 通謀虚偽表示

前項(一)ないし(三)記載のとおり、被告清建地所の主張する本件各契約は、被告清建地所と原告杉野とが通謀し、税金対策のために作成した虚偽のものであるから無効である。

3 錯誤

前記1の(一)ないし(三)記載のとおり、原告杉野は、川畑の言を信用して、本件各土地の売買価格が合計一億三六六〇万円であると信じていたのであるから、右価格が被告清建地所の主張するとおりであるとすれば、本件各契約はいずれも要素の錯誤により無効である。

4 詐欺

被告清建地所は、本件各土地を低額の売買価格により詐取しようと企て、真実は前記一億三三六〇万円で買い取る意思も能力もないにもかかわらず、原告杉野に対し、前記1(一)記載のような買付書を交付して被告清建地所があたかも右価格で本件各土地を買い取るかのように装い、さらに裏金を支払う意思がないにもかかわらず、前記1(三)のような虚言を弄し、原告杉野をして被告清建地所が真実裏金を支払ってくれるものと誤信させ、本件各契約を締結させたものである。

よって、承継前原告亡秋子は、昭和五六年八月二八日午後三時の本件口頭弁論期日において、被告清建地所に対し、本件各契約を詐欺により取り消す旨の意思表示をした。

八  再抗弁に対する認否

1 (一)再抗弁1(一)は認める。

ただし、被告清建地所は、原告杉野に対し、「本件各土地の賃借権者が被告清建地所と共同ビルを建築することに承諾するのであれば、本件各土地を買ってもよい。」と申し入れたところ、原告杉野が賃借権者は共同ビルの建築を了解していると答えたので、右共同ビルを建築することが可能であることを条件として本件各土地の買付書を交付したものである。しかるに、昭和五四年九月六日、本件一の土地の賃借権者である北野が共同ビルの建築に応じないことが判明したので、被告清建地所は、同月八日、原告杉野に対し、買付書による売買の中止を通告し、原告杉野もこれを承諾した。

同(二)のうち、原告杉野が被告清建地所に対し売渡承諾書を交付したことは認める。

同(三)のうち、原告杉野が本件各契約書に署名捺印したことは認めるが、その余は否認する。

被告清建地所は、前記買付書による売買が中止となった後の昭和五五年一月、亡秋子から本件各土地の底地を各二〇〇〇万円で買い取って欲しい旨懇請されたので、同年二月七日に本件一の売買契約、同年四月四日に本件二の売買予約をしたものである。

2 同2は否認する。

3 同3は否認する。

4 同4のうち、被告清建地所が原告杉野に対し本件各土地の買付書を交付したこと及び亡秋子が原告杉野主張のとおり取消しの意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する

(第二事件及び第四事件)

一  請求原因

1 被告清建地所は、昭和五五年四月四日、亡秋子の代理人である原告杉野との間で、本件二の土地につき本件二の売買予約をした。

2 被告清建地所は、同日、原告杉野に対し、手付金二〇〇万円を支払った。

3 被告清建地所は、同月七日、本件二の土地につき、本件二の売買予約に基づき本件仮登記を経由した。

4 被告清建地所は、同年一一月四日、原告杉野に対し、中間金五〇〇万円を提供したところ、原告杉野はその受領を拒否したので、同月五日、これを供託した。

5 被告清建地所は、昭和五六年三月三一日、亡秋子に対し、残金一三〇〇万円を支払い、これによって予約完結権を行使した。

6 亡秋子は、昭和五七年五月二二日死亡し、原告杉野がこれを相続した。

7 本件二の土地について、東京法務局港出張所昭和六〇年七月二六日受付第二三七八一号をもって、昭和五七年五月二二日相続を原因とする亡秋子から原告杉野に対する所有権移転登記がなされており、その後、同法務局同出張所同月二六日受付第二三七八二号をもって、同月二五日売買を原因とする原告杉野から被告ソワンに対する所有権移転登記がそれぞれなされている。

8 よって、被告清建地所は、原告杉野に対し、本件二の土地につき本件仮登記に基づき昭和五六年三月三一日売買を原因とする所有権移転登記手続、被告ソワンに対し、右所有権移転登記手続をすることについての承諾を求める。

二  請求原因に対する認否

(原告杉野及び被告ソワン)

1  請求原因1は否認する。

2  同2のうち、被告清建地所が同被告主張の日に原告杉野に対し二〇〇万円を支払ったことは認めるが、これが手付金であることは否認する。

3  同3のうち、被告清建地所が同被告主張の日に本件仮登記を経由したことは認めるが、これが本件二の売買予約に基づくことは否認する。

4  同4、5は否認する。

5  同6は認める。

(被告ソワン)

6 同7は認める。

三 請求原因1に対する原告杉野及び被告ソワンの抗弁

第一事件及び第三事件の再抗弁1ないし4のとおりである。

四 抗弁に対する認否

第一事件及び第三事件の再抗弁に対する認否のとおりである。

第三証拠関係《省略》

理由

第一第一事件の本案前の主張(訴えの取下げ)について

一  承継前原告亡秋子作成名義の昭和五六年三月三一日付けの第一事件の訴え取下書が同年四月一日当裁判所に提出されたことは本件記録上明らかである。

そして、《証拠省略》によれば、右取下書の亡秋子名下の印影は同人の印章によるものであることが認められるので、右取下書は真正に作成されたものと推認される。

そこで、さらに右訴えの取下げの効力について検討するに、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

1  亡秋子は、明治四三年一〇月二三日生の高齢者であり、昭和五二年七月、昭和五四年一二月、昭和五五年二月に脳血栓の発作を起こし、入院生活を続けていたものであるが、本件取下書に署名捺印した昭和五六年三月ころは、記憶力、判断力ともに衰え、脳軟化症、脳動脈硬化症などの診断を受けていた。

2  亡秋子は、本件各土地の売買に関する件をすべてその子である原告杉野に任せ、被告清建地所との売買契約の交渉、売買代金の受領などはすべて原告杉野あるいはその妻ツタヱが行っていた。

3  本件第一事件は、本件各土地の売買価格について、原告杉野と被告清建地所との主張が対立したことが原因となって提訴されたものであるが、この訴訟提起を決定し、その遂行をしていたのは原告杉野であった。

4  ところで、被告清建地所代表者川畑は、第一事件が提起された後、本件各土地の売買代金としてその主張する額(合計四〇〇〇万円)を完済した形を整え、第一事件を有利に展開しようとしたが、原告杉野が右金額の受領を拒絶することは明らかであったので、単身で入院生活を続けていた亡秋子に右代金を受領させてしまおうと考え、昭和五五年一一月五日、入院中の亡秋子のもとに本件二の土地の代金の一部として五〇〇万円を持参した。しかしながら、亡秋子が右金員をツタヱに渡すように言って受け取らなかったため、同日、受領拒絶を理由として右金員を供託した。

5  さらに、川畑は、当時第一事件につき亡秋子の訴訟代理人であった山田正明弁護士から、亡秋子は高齢と病気のため判断力がないので本件売買についての交渉は同弁護士又は原告杉野と行うように通知されていたにもかかわらず、同年一一月二二日、入院中の亡秋子のもとに本件一の土地代金の一部として額面金額七四六万円の小切手を持参して同女にこれを受領させた。

6  そこで、山田弁護士は、同年一二月二五日付け内容証明郵便をもって、被告清建地所に対し、川畑が亡秋子に右小切手を受領させた行為は、亡秋子の無知に乗じて無効な売買契約を追認させようとするものであり、正当な売買代金の支払と認めることはできないので、いつでもこれを返還する旨を通知した。

7  しかるに、川畑は、昭和五六年三月三一日、入院中の亡秋子のもとに本件二の土地の残代金として一三〇〇万円を持参してこれを受領させ、寝たままの亡秋子の手を支えて右一三〇〇万円の領収証に署名捺印をさせ、さらに、本件売買の経緯、訴訟の状況などについての詳細を知らない亡秋子に対し、「訴訟を取り下げてくれれば、供託済みの五〇〇万円も支払ってあげますよ。」などと言って、予め準備してきた第一事件の訴え取下書に亡秋子の署名捺印をさせ、翌日、川畑の長男健治がこれを当裁判所に提出した。

8  川畑は、同年四月一日、亡秋子のもとに額面金額五〇〇万円の小切手を持参し、これを同女に交付したが、その際、川畑の長男健治が亡秋子に対し、「弁護士は本件土地代金の受領を拒んでいるが、おばあちゃんはいいんですね。」と質したのに対し、亡秋子は、「私には分からない。誰にも返事をしてはいけないと言われている。」、「訴訟を山田弁護士に頼んでいる。」などと答えた。

9  山田弁護士は、同月二日付け内容証明郵便をもって川畑に対し、亡秋子に対する一三〇〇万円の支払について異議を述べるとともに、翌三日には、本件訴えの取下げが無効であるとして第一事件の口頭弁論期日の指定を申し立てた。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定事実によれば、川畑は、亡秋子の訴訟代理人から、亡秋子は老齢かつ病身のため判断能力が低下しているので本件売買に関する交渉は一切右訴訟代理人又は原告杉野と行うように通告されていたにもかかわらず、これを無視し、殊更に、老齢かつ病身のため判断能力が衰え、しかも本件売買契約の経緯及び第一事件の問題点などにつき何も知らない亡秋子に対して多額の現金を見せつけ、甘言を弄するなどして同人から訴えの取下書を取り付け、亡秋子に代わってこれを当裁判所に提出したものであって、川畑の右行為は著しく信義に反するのみならず、亡秋子の真意にも反し(承継前原告亡秋子は、その本人尋問において、右取下書の作成を否定している。)、亡秋子の利益を著しく害するものであると認められる。よって、第一事件の訴えの取下げは無効というべきである。

第二第一事件及び第二事件について

一  亡秋子が本件各土地を所有していたこと(請求原因1)、亡秋子が昭和五七年五月二二日に死亡し、原告杉野が亡秋子の権利義務を相続したこと(請求原因2)、本件一の土地につき被告清建地所のために本件登記がなされていること(請求原因4)、本件二の土地につき被告清建地所のために本件仮登記がなされていること(請求原因5)はいずれも当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、原告杉野は昭和六〇年七月二五日本件各土地を被告ソワンに売り渡したこと(請求原因3)が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  被告清建地所は、原告杉野が亡秋子の代理人として、本件一の土地については昭和五五年二月七日、本件二の土地については同年四月四日、いずれも売買価格を二〇〇〇万円とする売買契約あるいは売買予約をしたと主張し、《証拠省略》によれば、原告杉野が、昭和五五年二月七日、本件各土地をいずれも二〇〇〇万円で被告清建地所に売り渡す旨の「土地売買契約書」(《証拠省略》と同内容のものに確定日付の公証を受けたものである。以下「本件各売買契約書」という。)を作成したことが認められる(なお、《証拠省略》の契約の日付けは昭和五五年四月四日となっているが、後記認定のように、右契約書が作成されたのは昭和五五年二月七日である。)。

しかしながら、《証拠省略》によれは、次の事実が認められる。

1  亡秋子は、昭和五四年ころ、本件各土地の売却を考え、その子である原告杉野にこれを委任したところ、昭和五四年八月ころ、原告杉野の妻ツタヱの勤務先の経営者の紹介により、被告清建地所代表者川畑が本件各土地の買取りの交渉をするようになった。

なお、本件一の土地は、昭和二九年一二月二一日から三〇年の約束で普通建物所有の目的で北野に賃貸され、同土地上には木造家屋が存在し、また、本件二の土地は、同年七月から六〇年の約束で堅固建物所有の目的で名和好子に賃貸され、同土地上には鉄筋コンクリート製の建物が存在していたので、川畑は、本件各土地の底地を買い取った上、右賃借権者らと交渉して本件各土地上に共同ビルを建築しようと考えていた。

2  川畑は、本件各土地の借地権の内容及び利用状態などを勘案した上、本件一の土地(底地)を坪単価二〇〇万円、本件二の土地(底地)を坪単価一二〇万円と評価し、右価格で本件各土地の底地を買い取りたい旨を原告杉野に申し入れ、同年八月二四日、本件一の土地(地積一三五・六〇平方メートル)を坪単価二〇〇万円、本件二の土地(地積一四二・三一平方メートル)を坪単価一二〇万円で買い取り、賃借権者とは被告清建地所が話し合う旨を記載した買付書を原告杉野に交付した。

なお、川畑は、右買付書とともに、予め用意した売渡承諾書を原告杉野に交付し、これに署名捺印することを求めたが、右売渡承諾書には、売買物件は本件各土地の底地であること、賃借権者とは被告清建地所が協議すること、契約時期等の詳細は協議の上決定すること、価格は別紙契約書によること(ただし、別紙は添付されていない。)などが記載されていた。

3  原告杉野は、右申し入れの数日後、右申し入れを承諾し、売渡承諾書の亡秋子名下に捺印し、これを被告清建地所に交付し、川畑は、後日、正式の契約書を作成することを約束した。

4  川畑は、昭和五五年二月七日、原告杉野に対し、「買付書に記載してある価格で売買契約をすると税金が非常に高くなるので、税金対策上、本件各土地の売買価格をそれぞれ二〇〇〇万円とした方がよい。足りない分は裏金で支払う。裏金の保証として被告清建地所が渋谷に所有している時価六、七〇〇〇万円の建物を原告杉野の名義にしておく。」などと言って、売買価格を各二〇〇〇万円とする本件各売買契約書を作成するように提案したので、原告杉野は、被告清建地所が右売買価格(各二〇〇〇万円)のほかに裏金を支払ってくれるものと信じ、右各契約書の作成に応じた。

5  なお、川畑は、原告杉野に本件各土地の売買代金の裏金を支払うことを信じ込ませるため、原告杉野に対し、被告清建地所が実質的に所有していた別紙物件目録三の建物(ただし、所有名義人は及川良司)を裏金の支払の担保として提供する旨申し入れ、同建物につき、東京法務局渋谷出張所昭和五五年三月三一日受付第一三四〇六号をもって、同年一月二九日売買(架空売買)を原因とする原告杉野の妻ツタヱに対する所有権移転登記をした。

しかしながら、川畑は、その後、原告杉野及びツタヱには無断で、右建物につき、同法務局同出張所同年八月二二日受付第三五二八三号をもって、同年同月二一日売買(架空売買)を原因とするツタヱから川畑の妻川畑ユリに対する所有権移転登記を経由して、右建物の所有名義を取り戻した。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上によれは、本件各土地売買契約書は、原告杉野と被告清建地所とが通謀して、税金対策のために虚偽の売買価格を記載したものと認められるので、これにより本件各土地につき、被告清建地所主張の売買価格(二〇〇〇万円)による売買契約が成立したものと認めることはできない。

そして、前記認定事実によれば、亡秋子と被告清建地所との間に成立した本件各土地の売買契約は、本件一の土地の坪単価を二〇〇万円、本件二の土地の坪単価を一二〇万円とするものであり、右金額と本件各契約書に記載された金額(各二〇〇〇万円)との差額は裏金として支払う旨の約束がなされたものと認められるところ、《証拠省略》によれば、原告杉野は、亡秋子の代理人として昭和五七年三月一二日到達の内容証明郵便により被告清建地所に対し、右代金の支払を催告し、右催告到達後一週間以内に支払がないときは、本件各契約を解除する旨通知したこと及び被告清建地所は右期間内に右代金を支払わなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

したがって、亡秋子と被告清建地所との間の本件各土地の売買契約は解除により消滅したというべきである。

また、前記認定事実によれば、亡秋子の代理人である原告杉野は、被告清建地所代表者川畑から本件一の土地を坪単価二〇〇万円、本件二の土地を坪単価一二〇万円で買い受けたい旨の申し込みを受け、その旨の買付書を受領し、また右売買価格と本件各売買契約書に記載されている売買代金(各二〇〇〇万円)の差額は裏金として支払う旨の説明を受けていたため、川畑の右申し入れを信じて、本件各売買契約書に署名捺印したものと認められるので、被告清建地所において当初から右裏金を支払う意思がなかったとするならば、本件各土地の売買契約は川畑の詐欺によるものであり、(承継前原告亡秋子が昭和五六年八月二八日午後三時の本件口頭弁論期日において本件各契約を詐欺を理由として取り消したことは当事者間に争いがない。)、少なくとも売買契約の要素たる売買価格につき原告杉野に錯誤があったものというべきである。

以上によれば、被告清建地所の抗弁1、2はいずれも採用することができないので、原告杉野の第一事件及び第三事件の各請求はいずれも理由がある。

第三第二事件及び第三事件について

被告清建地所は、原告杉野が亡秋子の代理人として、本件二の土地について売買価格を二〇〇〇万円とする売買予約をしたと主張し、《証拠省略》によれば、原告杉野が、昭和五五年二月七日、本件二の土地を二〇〇〇万円で被告清建地所に売り渡す旨の土地売買契約書(《証拠省略》と同内容のものに確定日付の公証を受けたものである。)を作成したことが認められる(なお、右契約書の作成日は、昭和五五年四月四日ではなく昭和五五年二月七日である。)。

しかしながら、前記第二において判示したように、右売買契約書は、原告杉野と被告清建地所とが通謀して、税金対策のために虚偽の売買価格を記載したものと認められるので、これにより、被告清建地所主張の売買価格(二〇〇〇万円)により売買予約が成立したものとを認めることはできない。

また、前記第二において判示したように、亡秋子と被告清建地所との間の本件二の土地の売買契約(坪単価一二〇万円)は解除されたものであり、また、被告清建地所において当初から原告杉野主張の売買代金を支払う意思がなかったとするならば、本件二の売買予約は錯誤により無効というべきである。

したがって、被告清建地所の第二事件及び第四事件の各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第四結論

以上によれば、原告杉野の第一事件及び第三事件の請求はいずれも理由があるから、これを認容し、被告清建地所の第三事件及び第四事件の請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙橋正 裁判官 秋武憲一 宮坂昌利)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例